ロイヤル革命とは何か
フランス革命は、一つの出来事として紹介されていることが多いですが、自分から理解しようとすると革命自体が様々な革命から形成されていることが見えてきます。
その中で、ここでは、あまり知られていないロイヤル革命を紹介します。
ロイヤル革命とは何か?
ロイヤル革命という呼称とは
この間、でしたか、ジャン=クリスチャン・プティフィスジャン=クリスチャン・プティフィス(Jean - Christian Petitfils)ジャン=クリスチャン・プティフィスによる「ルイ十六ルイ十六(Louis Seize)ルイ十六世 (新しいタブで開きます)」という本がペランペラン(Perrin)ペラン社から出版されました。
ソ連邦の崩壊とそれに伴う東欧諸国家の共産主義からの脱却という当時の社会情勢下で、革命史の解釈を見直す風潮の中で、著者は、その記述に最新情報を取り入れてより「中立的」なものにしようと主張しています。
確かに出版時点で存在していた書物と比較すれば、革命派対王党派の立場から、極端に偏らない内容として、著者が密かに王国の立場にある程度偏っているにもかかわらず、大きく言えば、そうであったのではないかと認められます。
特に風刺において、能力がなく、革命の画期的さを理解できなかった人間だとの強い批判に対して、当時、例えばラ・ペルーズラ・ペルーズ(La Pérouse)ラ・ペルーズ (新しいタブで開きます)の太平洋における航海に関する科学技術に関する情報などに熱心であったことなどから先見の明や教養を身につけていて、アメリカ独立戦争の成功でアメリカ合衆国の誕生に欠かせない財政的、軍事的支援を行うという重要な役割を果たした人物として再評価すべきだと改めて述べたのがよかったと断言できます。
革命に直面する王の姿勢に関しても、ほとんど触れられることのなかった1787年から1789年という時期の改革の骨太さを強調するために革命の多重性をさらに引き立てるように「ロイヤル革命ロイヤル革命(la Révolution Royale)ロイヤル革命」と呼ぼうとしたのも適切だったでしょう。
日本では、そういった努力が無視されませんでした。
プティフィスの著書出版から三年と経たないに中央公論新社から邦訳が出ましたが、とても残念なことに、プティフィスの主張が通らず、大切な「ロイヤル革命」の概念がいつの間にか「王政改革」にすり替えられていました!
きっと大手会社の下請け体系の流通経路で行方不明になったのではないでしょうか。
それはそれで、実際、細かく検討すると、プティフィスが語るロイヤル革命が基本的に王国伝統の解釈を改める立場に沿って、距離感が取れているとは言いがたいのか、あるいは国務諮問会議国務諮問会議(こくむしもんかいぎ)国務諮問会議での対立を詳述しすぎて筋を複雑にしているのかは定かではないが、最初の目的であるルイ十六世の再評価が果たされていることと面白い面があちこちに見受けられるものの、読者を納得させる内容になっているとは残念ながら言えません。
特にテュイルリテュイルリ(Les Tuileries)テュイルリ宮殿に無理矢理移り住んでから、少しずつ状況が悪化している環境に囚われ、脱出する決意を抱く王になると、話が弱くなるとの印象を与えるようになってしまいます。
特筆すべき点としまして、今までそういった資料は日本語では存在していなかったのではないかと思われます。
財政問題
アメリカ独立戦争
、アメリカ独立戦争アメリカ独立戦争(the American War of Independence)アメリカ独立戦争 (新しいタブで開きます)中だった大陸会議大陸会議(Continental Congress)大陸会議 (新しいタブで開きます)が、ベンジャミン・フランクリンベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)ベンジャミン・フランクリン (新しいタブで開きます)、サイラス・ディーンサイラス・ディーン(Silas Deane)サイラス・ディーン (新しいタブで開きます)、アーサー・リーアーサー・リー(Arthur Lee)アーサー・リー (新しいタブで開きます)らを含む使節団をパリに派遣します。
フランスの協力・参戦を求めるためにルイ十六世、ヴェルジェンヌヴェルジェンヌ(Vergennes)ヴェルジェンヌ (新しいタブで開きます)外務大臣やボーマルシェボーマルシェ(Beaumarchais)ボーマルシェ (新しいタブで開きます)との交渉が行われました。
結果としまして、表向きは、フランス政府からの軍事的援助の可能性は否定しながら、実際、多くの武器や弾薬の輸送、秘密の借金と内密の軍事援助が確実に行われることとなりました。
それでイギリス軍がサラトガの戦いサラトガの戦い(the Battle of Saratoga)サラトガの戦い (新しいタブで開きます)で敗北し、それを機に仏米同盟条約仏米同盟条約(le Traité d’alliance franco-américaine)仏米同盟条約 (新しいタブで開きます)が公に結ばれ、フランスがアメリカ側に就いて参戦し、ロシャンボー伯爵ロシャンボー伯爵(le Comte de Rochambeau)ロシャンボー伯爵 (新しいタブで開きます)が率いる七千人の当時世界一の兵力を持っていたフランス王国派遣軍――後で特にナポレオン戦争でのその優秀性が明らかとなる――によって、ヨークタウンの戦いヨークタウンの戦い(the Battle of Yorktown)ヨークタウンの戦い (新しいタブで開きます)でイギリス軍が降伏させられて、イギリスがアメリカ合衆国の独立を認めるパリ条約パリ条約(le Traité de Paris)パリ条約 (新しいタブで開きます)が結ばれて終戦を迎えました。
ジャック・ネッケルの財政
フランス王国としましては、海軍、陸軍にも及ぶ、遠いアメリカで行われている軍事行動を支えるには、当然増税が必要だったのに、に就任した財務長官ジャック・ネッケルジャック・ネッケル(Jacques Necker)ジャック・ネッケル (新しいタブで開きます)が、王に、増税せずに、国家への信用に基づく終身年金形式の公債によって支出を賄うことができると断言したため、財政が大幅に悪化しました。
ネッケルはにルイ十六世によって罷免罷免(ひめん)罷免された後、、財務総監に就任したカロンヌカロンヌ(Calonne)カロンヌ (新しいタブで開きます)はに王に特権身分の免税を廃止して課税の平等を実現しようとする骨太な改革を提案します。
、ルイ十六世はこの政策を実施するため、カロンヌの要請により、全国三部会全国三部会(les États Généraux)全国三部会 (新しいタブで開きます)ではなく、名士会名士会(l'Assemblée des notables)名士会 (新しいタブで開きます)をぶりに招集します。
ロイヤル革命政策内容
特権身分の免税を廃止するには、特権的な税免除を完全になくして、既存の資格、地位、性質などをなくしながら、農業、商業を改革させて、統一的で合理的な現代的な国家を作り上げることまでが含まれていました。
そのため、王が、各地方の独特な伝統、習慣や特権も完全に廃止する予定でした。
種々の商業の自由の成立のため、国内関税、塩税をなくして、数年にわたって王領を抵当に入れて、フランスの四分の三に及ぶ地域で、州議会、県議会、地方議会を作る一方、特権に関係なく、地籍にだけ基づく所得税の均一化を成し遂げる目標も含まれていました。
この政策によって、フランス教会の特別な資格や税金免除などを完全になくす懸念がありました。実施されたら、各修道会や聖職者らは地籍で測れる面積に従って、財産を見積もられ、皆と同じく所得税を免れることができなくなります。
高等法院が自身の主権を、統一を成し遂げようとした改革者(あるいはカロンヌ)に左右される政府に譲ることに他ならないことを考えると、相当に保守的な力に抵抗していたことが明らかです。
そのため、まずは、王委員会で審議された時、意見が分かれてしまい...